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進化しゆく、古くて新しい鋳物:菊地保寿堂

10月14日2008年 カテゴリー: 伝統, 国内, 工芸, 意匠

進化しゆく、古くて新しい鋳物:菊地保寿堂

山形は、日本でもっとも古い鋳物の産地である。ここには、モダンな鋳物を製造するメーカーが数社存在している。その中でも、もっとも古い老舗として知られるのが、菊地保寿堂だ。過去の文献を漁り、歴史をひも解けば、伝統は革新の連続であると、このメーカーの頭首は語る。その秘密を探るため、最も古く最も新しいものづくりをする、同社を訪ねた。

取材:鈴木隆文

鋳物工房の机の上の風景はひと味違う

山形県の鋳物の歴史というのは、非常に古いものだと聞いています。

山寺の辺りには、960年前から鋳物をつくる人たちがいたと言われていますね。

菊地さんは、同工房の何代目にあたるんでしょうか?

15代目にあたります。1604年、慶長9年が創業になります。ですから、公式な文献に基づいて探るだけでも、400年以上の歴史があります。ただ、いろいろ調べてみると、ウチは安土桃山時代からやっていることは間違いないようですね。

ひとつひとつ丁寧に加工が施されていく

工房としても長い歴史を背負っているんですね。先代から受け継がれてからは何年になりますか?

私の父は56歳のときに亡くなりましたから、かれこれ26年位になります。私は23歳のときに、会社を継いだ形になりますね。

随分早く継いでいますが、戸惑いはありませんでしたか?

ありませんでしたね。ウチの父親は、「家を継げ」なんてことは言わなかった。父は他界していますが、死ぬ直前にでさえ、わざわざ僕に「継ぎたくなければ継がなくていい」とまで言っていたくらいですから。

口の部分はこうして型が取られる

「継がなくていい」と言われながら継いだということは、やはり家業に愛着をお持ちだったのでしょうか?

私は、元々、ものづくりが大好きだったんですね。それに私は武蔵野美術大学というところを卒業していて、彫刻を通じて立体造形を勉強していたし、小さい頃から家業のことは見ていたから、すんなり継ぐ気持ちになっていたんですね。

ただ、時代的には、日本の伝統というものには目が行きづらい時代ですよね?

そうでしたね。アメリカ西海岸を特集する『ポパイ』なんていう雑誌が創刊されたような時代、70年代ですからね。みんなウェストコーストの文化にかぶれていました(笑)。でも、私は、大学で西洋美術を学ぶなかで、逆に東洋文化の奥深さに魅せられていったんです。本当は、父が他界したとき、パリの国立学校に国費で留学することが決まっていたんです。それを辞退してでも、家業の方を継ぐ道にいきたいと思ったんですね。

上段は「しほう」、下段は「繭」

菊地さんは経営とものづくりを通じて、どんなことに力を注いできたのでしょうか?

とにかく、ウチの技術で守るべきものを守るということ。それは、日本刀の材料でつくる鋳物で、茶飲み釜なんです。これは、技術的にも難しいし、他の国ではこういう技術は全くといっていいほどないんです。この技術には、76工程あるんですけど、これは絶対必要な76工程なんです。ひとつ少なくても、ひとつ多くても駄目。長い時間を掛けて自然淘汰され、洗練されて、今残っている技術には、無駄がない。そういう貴重なものを守って、何とか現代の生活に合うようなものにしていかなければいけない、そう思ったんですよね。

モダンなものづくりを意識したわけですね。

97、98年頃から、段々、そういう方向に転換していったんですね。日本的な美意識、哲学、繊細さというものを取り入れるものづくりですね。そして、その試みで成功した商品が「よほう」というものなんですけど、そしたら、これが爆発的に売れたんです。1ヶ月で2千個、3年間では2万個も売れたわけですから。売れたということは、お客さんが何かに共感したということですよね。お客さんはわからなくても、私は、それが古い名品に残された日本的な美意識だったと思うんです。

鋳物屋の光景には、どことなくノスタルジーが漂っているように感じられる

日本的な美意識を鋳物に映すというと具体的にはどういうことになるのでしょうか?

それは繊細さですね。例えば、湯を注いだときに口切れがいいとかね。昔の人は、道具にまで死生観を見い出したそうですから。例えば、戦に出た武士は最後の杯を飲む。明日死ぬかもしれないというときに、「清流流るるがごとくが名品なり」と言って、道具にもピュアさを求めました。だから、日本的美意識というのは、繊細さだなぁと思うんです。

菊地さんはご自身でもデザインをなされるのですか?

はい。「四方(よほう)」なんかは私が考案したものです。でも、私は、「デザインをしている」という意識はまったくなかったんです。でも、鋳造技術なんかに関しては、子供の頃から直に見たり手伝ったりしていて、砂ふるい、鉄の流し込み、細かい荷物運搬なんかの製作の仕事を完全に把握していました。それに大学では、立体造形を専攻していましたから、非常に自然な流れでデザインをするということもしていたんです。

息をのむような曲線の美しさ

日本的美意識を宿した鋳物としては、奥山清行Japanブランド,山形工房)さんがデザインされた茶釜も印象的ですよね。

彼のデザインの力というのは、日本人としては郡を抜いています。日本的な直線のようだけど直線じゃない、そんなセンシティブな曲線の使い方の上手さには素晴らしいものがあります。また、彼とのコラボレーションでは、お茶を美味しくするには、どうしたらいいのかという機能的な部分を熟考できたのも良かったですね。

機能的な面というと、それは例えば、どんなことになるのでしょうか?

実は、茶飲み釜というのは、ポットだから、突飛なデザインをしようと思えば、いくらだってできるんです。でも、反対に道具としての当たり前の機能性を考えていくのは、もの凄く難しい。把っ手の持った感触が良くて、縁が垂れなくて、保温性が適度に良いという、道具として必要な要素を兼ね備えるのが難しい。それで、美味しいお茶と感じる温度というのは、調べみると、甘みと辛みのバランスが丁度よく保たれる温度なんです。それが、約73度なんです。

湯切れのいい口をつくる技術も高度な匠の技だ

なるほど。でも、その保温性を機能として取り入れるのは難しかったんではないでしょうか?

そうなんです。73度にするためには、素材を見直すところからはじめる必要があった。で、その秘密、ノウハウは、実は400年前の鋳造技術の中に隠されていたんです。溶解するときの材料配分の仕方とか、不純物をのぞくのぞき方とか、それは、今の科学だけでは、割り出せないやり方なんです。

「繭」は把っ手の部分も美しいですよね。

そうですね。でも、今までのつくり方でこの曲線をやろうとすると、一本が3万円も5万円もするものになってしまう。それでは、日用品の枠を出てしまうので、いけません。それで、山形県というところは金属加工業者が多いので、とある工業製品をつくる会社を訪ねて、そこの技術でやってみたら、見事に出来上がったわけです。企業秘密なので、これ以上は言えないんですけどね(笑)。

美しくカーヴした「繭」の把っ手。手で触ると弾力性もある

なるほど、ありがとうございます。今日は、伝統と革新を大切にするという意味がよくわかりました。

半歩ずつ積み重ねていくと、進化して、それが当たり前になっていく。半歩だって、4回続けば2歩になっているわけで。1歩を踏み出す勇気がないときは、半歩進んでみる。それが100年経って、200年経って見たものがたまたま伝統と言われるものになるわけで、本当は伝統というのは、革新の連続した状態のことを言うのではないでしょうか。

菊地保寿堂
山形県山形市鋳物町12番

菊地規泰
1959年山形県鋳物町生まれ、菊地保寿堂代表取締役




yamagatakobo同プロジェクトの他参加者・三澤栄治さん(山形県JAPANブランド実行委員会事務局)の声はこちら




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