
ローマ法王の謁見の間の絨毯、皇居新宮殿の300帖にわたる絨毯など、要人をもてなす歴史ある建物のひと間に多く用いられてきた絨毯メーカーがある。繊維と織物の街として知られる山形県山辺という土地に拠点を置くオリエンタルカーペット。たった三十数名の職員しかいない小さな会社ながら、ここから生み出される絨毯は、空間を一変させる。手づくりにこだわる絨毯メーカーを覗いた。
取材:鈴木隆文

フェラーリをデザインした奥山清行さんが、老舗の絨毯メーカーと手を組むという、そのギャップが新鮮ですね。
最初は、奥山さんに工場を見てもらうところからはじめたんですね。山形工房を起ち上げて、JAPANブランドの山形カロッチェリアプロジェクトをはじめるという話が出る前のことです。ギャップという意味では、奥山さんのデザインは、僕らにとっても目新しいものでしたから。最初は「なんだこいづ(何だこれは!)」という声が大きかったくらいです(笑)。
オリエンタルカーペットが他の絨毯メーカーと違う点というと、やはり手づくりということが挙げられるのでしょうか?
そうですね。「手織り」や「手刺し」という手づくりの絨毯製作の技法は、相当高度な技術とノウハウが必要なんです。特に手織りは熟練の職人の手が必要な上に、一日たった7cmしか前に進まないので、熟練である上に根気も必要なんです。玄関マットで1ヶ月、6畳敷きで3ヶ月もの製作期間が必要になります。だから、大型絨毯をつくれるメーカーは、国内では当社の他には1社だけです。


触ってみて感じられる繊細さというのは、やはり「手づくり」にこだわっている点にあるんでしょうね。
ただ、ウチの場合、もうひとつ特殊な技術があるんですよ。それは、マーセライズ(化学洗濯艶出)という技術なんですけど、これは他の会社が真似しようと思ってもできない。独特の馴染んだ光沢と手触りの感触は、長年の培ってきたウチ独自の技術なんです。
こちらで発明なされた技術なんですか?
いや、それが違うんです。実はこれ、元々は中国の技術だったんですよ。当社の絨毯の技術というのも、実はすべて中国から来ています。創業者が、昭和10年頃に7名の中国人の緞通(だんつう)技術者を招いて、2年間、彼らの技術を学んでいるんです。当時は、決して日中関係は良くなかった。でも、「せっかくの繊維と織物の歴史が脈々と流れる、この山辺という土地をどうにか、活かしていきたい」。それが、創業者の想いだったようですね。


なるほど、あえて外国から技術を学ぶという姿勢が素晴らしい姿勢ですね。
当時は、昭和の凶作もあり、子女の身売りが日常的に行われていたような厳しい時代ですからね。創業者は、なんとか女性の働き口をつくってあげようという想いでやっていたみたいですね。
そうすると、今いる職人さんも女性なんでしょうか?
そうですよ、工場に行くと女性ばかりです。織物は、女性ならではの繊細な感性や感覚がピッタリの手仕事ですからね。でも、創業者がこだわったのが、職場の環境なんです。昭和初期の繊維業で、しかも女性ばかりが働く工場なんていうと、日本人は映画の『あゝ野麦峠』なんかを想い起こすと思うんです。劣悪な労働環境で長時間労働させられるというような。でも、ウチは、ひとりひとりが快適に作業ができるように広くて光の沢山入ってくる空間の工場を意識してつくったみたいですね。だから、営利目的というよりは、地域振興という、その想いが創業者には特に強かったと思うんですよ。


今も地域に根差した会社運営を行われている印象を強く受けます。
そうですね。実は、僕は、大学は東京、最初に就職先はマスコミとまったく別のところからこの会社に入ってきたんです。若い頃は、「山形よりも東京」という想いがあったんですけど、次第に帰巣本能が涌きあがってきて、山形に戻ってきた。だから、土地への想いというのは、人一倍強い。だから、そういう意味では、創業者の地域振興の想いとも重なる部分があって、とても共感ができるんです。
渡邊さんは、創業者との血縁関係があるのでしょうか?
いや、実は、私の妻の曾祖父が創業者なんです。だから、私は、そういう意味ではこの会社に入ることというのは、子供の頃は予期していなかった(笑)。むしろ、ずっと報道の世界に興味があって、だからこそ、大学卒業後は、マスコミの世界に身を置いていた。それが今は、絨毯メーカーの5代目ですからね。人生というのは、わからないものですね。


でも、そうした経歴があるからこそ、外からの目で、客観的に冷静に物事を見るということはできるのでしょうね。
それはあるかもしれないですね。この技術を残すためには、どうすればいいか。インテリア関係の人だけじゃなくて、多くの人に知ってもらうためには工場見学を開放したら、いいんじゃないかとか、デザイナーさんとコラボレーションしたらいいんじゃないかとか、織画のアート作品の販売に力を入れていこうなど、様々な新しいことに取り組んでいるんです。僕、個人としては、この技術をいい形で次の世代に残していくのが使命だと思っているんです。
そういう背景があるから、フェラーリのデザイナーと絨毯というものがひとつになるわけですね。
でも、実は、最初はあのプロジェクトは大変だったんです(笑)。最初に、「なんだこいず(何だこれは!)」って、言いましたけど、奥山さんの要求を製造側で満たすのはとにかく大変だし、手を動かしている職人さんたちも最初は「こんな派手な図柄をどこに置くんだろう?」という気持ちだったんですよ。それで、僕も段々不安になってきたんです。ところがね、不思議なもので、出来上がってしばらく置いておくと「やっぱり、配色や色使いの繊細なバランス感覚が凄いよ」って、職人さんたちが自ら気付いて口にするようになった。技術の高い職人とデザイナーがひとつになると、素晴らしいものができる、そう気付くことができた。だから、これからも、試行錯誤しながら、技術を次の代に伝えて、ピリッと辛みのあるものづくりをしていきたい、そう思っているんです。
オリエンタルカーペット
山形県東村山郡山辺町大字山辺21

渡邊博明
1961年、東根市生まれ。オリエンタルカーペット代表取締役。

同プロジェクトの他参加者・三澤栄治さん(山形県JAPANブランド実行委員会事務局)の声はこちら
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Posted by: Swing lyrics @ 5月15日2011年
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