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売れる器、デザインの秘密:白山陶器

9月9日2008年 カテゴリー: ビジネス, 伝統, 国内, 工芸

売れる器、デザインの秘密:白山陶器

長崎県の誇る伝統工芸品、波佐見焼き。鮮やかな色彩、網目焼き、墨はじきなど、その技術の高さは相当なものだ。しかし、今回紹介する白山陶器は、波佐見の地で磁器をつくりつづける8代目ながらも、その造形は明らかに他の窯とは一線を画す。”デザイン”という要素を導入した伝統の窯は、どんなものづくり、どんな商いを営んできたのだろう?

取材:鈴木隆文

宇宙から降りてきたようなフォルムの花瓶。伝統的な窯元らしからぬ奇抜なデザイン

白山陶器は、この産地の他のメーカーとは、一線を画して、独自の色を強く打ち出していますね。

そうですね。ウチは、森正洋というデザイナーが在籍して、1950年代からずっと引っ張ってくれた。それがひとつの財産になっているとは思いますね。

1950年代からデザイナーを入れて焼き物をやっている窯元というのは、随分、時代の先をいっている感じですね。

まあ、それは先代である父が、この波佐見の地に婿入りしてきて、「同業者で競争しなくていいものはないか」そう考えていたときに出会ったのがデザインだったということだと思います。だから、各種研究機関の人が、「成功事例として取り上げたいので、御社が成功した理由を教えてください?」なんて急に言われても、困っちゃうんです(笑)。ウチは、デザインをベースに「今、今、今」ということの積み重ねでやってきただけですからね。

オーソドックスな形の中にも、少しスパイスの利いたデザインが施されている

でも、どうして白山陶器は、50年代という時代に、デザイナーを採用しようなどと思ったのでしょうか?

かの有名な松下幸之助という人が、世界漫遊を終えて、飛行機のタラップから降り立ったときに、「これからはデザインの時代やで」と言ったそうなんです。それを聞いた父は、「ああ、そういう時代か。でも、デザインって、何だろう? でも、松下幸之助が言うのだからデザインの時代なんだろな。じゃあ、ウチにデザイナーを入れよう。どこかにデザイナーいないかな?」って思ったらしいんです。でも、その時代、長崎の田舎に、デザイナーなんているわけない(笑)。ところが、長崎県窯業試験場(現・長崎県窯業センター)というところの所長に聞いたら、ひとり面白いザイナーが在籍しているというんです。

その方が森正洋さんだったわけですね。

そうなんです。昔は、窯業は土日も休みなんてなかったんです。ただ、ここは、県立の機関だから、土曜日は半ドン、日曜日は休みだった。だから、土曜日の午後と日曜日に、アルバイトで会社に来てもらってデザインを見てもらうことにしたんです。

土地に密着している工場なだけに、働いている人は老若男女さまざま。コンテンポラリーな磁器は彼らの手から生み出されている!

でも、後々は、白山陶器の専属になったんですよね?

はい。森さんは県立の機関は、自由にものをつくれないのが恐らく嫌だったんでしょう。だから、しばらくして仲良くなると、先代に「自分を雇ってくれ。そして、商品開発を自由にやらせてくれ!」と直訴したそうなんです。実は、当時の工場では、森さんは奇異の眼差しで見られていたと思います。現場で働く職人からしたら疎ましい存在でもあったんでしょう。でも、ものづくりへの情熱というのは凄かった。また、先代にも、それを受け止めるだけの大きな器量があったんですよ。

なるほど。それでデザインで人気を博すようになったわけですね。

ウチのピークは昭和55、56年頃だったんです。でも、それを過ぎると、年々、ウチの商品の売上げが悪くなってきた。その頃は、もう私がやっていました。そのまま引き継いで平成7年に社長に就任しました。理由がわからないものだから、ますます悪くなるわけですね。それで世の中も悪くなってバブルもはじけてしまう。悩んで悩んで、将来的にも、もう無理なんじゃないか。そう思い詰めるくらいに苦しい時期がありました。

さまざまな種類の磁器を取り扱うショールームと、窯入れを待つ製造途中の素地。商品が醸すオーラには、世の不景気がまったく感じられない。

華やかな時ばかりではなかったのですね。

そうなんですよ。でも、そのときに、私はやりかけの仕事をやらなければいけなかった。それが平成10年の年明けに開催されたフランクフルトとミラノの国際見本市への商談でした。会社の将来に悩んでいるときでしたから、私は嫌で嫌で、正直言って行きたくなかった。ところが行ってみると、そこには世界中の家庭用品のメーカーが集まっていて、世界中のバイヤーたちが買い付けにきているわけです。凄い迫力。それを目の当たりにしたら、圧倒されましたよ。

世界のマーケットを肌で感じたわけですね。

はい。ウチみたいな規模の中小企業が、「何をつくろう、どこで売ろう、お客さんはどこにいるのだろうか?」って、悩むことが馬鹿馬鹿しくなったんです。「この位の商品量くらいなら、何とでもなる」、そう思った。だから、帰ってきたときには、スキップですよ(笑)。でも、その間、会社は何も変わっていない。変ったのは、僕の気持ちだけでしたから。

気持ちが切り替わってどうなったんでしょう?

それで、その後、テーブルウェアフェスティバルというイベントに出展することにしたんですね。これは、テーブルセッティングを競うイベントです。当時、業界では、メーカー自体が、そういう場に出にくかった。でも、物を売りに行くのではなく商品のPRに行くのだからと、思い切って出た。そしたら、これが凄いイベントで、開催期間は10日間、入場料が1800円もするのに、約30万人のテーブルウェアに興味ある人たちだけが来場するわけです。そして、その目の肥えたエンドユーザーが、手にとって目の前で反応してくれる。中には、買って帰りたいという人も出てきたりする。驚いたのは、「あなたがた、今回ははじめてでしょ?」と何人もの人から聞かれた。で、どうしてかなと思って聞いてみたら、「だって、この商品見たら忘れるわけないもの」と返ってくるわけです。

それは痛快ですね。

今までは、流通というものが間にあったから、エンドユーザーの声を聞くことができず、商売がつまらなかったとわかったわけです。それで僕は、会社に戻って、社員の前で「来年から、大衆が直接審査をしてくれるこのイベントを白山陶器の商品発表の場にするから、ここを目指して新作をつくろう!」と宣言したんですね。そこから顔の見えるものづくりをするようになったんです。それを続けていくにうちに、「卸して欲しい」という問い合わせもどんどんくるようになりましたしね。

そうやって、またモノが売れるようになったんですね?

はい。モノが売れない理由というのはふたつある。お金を出してもお客さんがいらないというモノをつくっているか、つくっているモノが、お客さんの目に触れないか。つくるだけじゃなくアピールが大切。でも、「みんなで力を合わせて波佐見ブランドを売ろう!」なんて足並み揃えてやるのは、本末転倒です。それぞれのメーカーが会社の名前を出して、顔の見えるものづくりをしなければ意味がない。1社、2社、3社、4社とそれぞれ頑張ってる会社が、お客さんの目に止まるようになって、「これもこれもこれも産地が波佐見ね。波佐見って産地は凄いのね!」ってなってはじめて地域ブランド。ブランドかどうかは、売り手ではなくて買い手が決めるんですよ。

最後に、松尾さんは8代目としてどんな想いで商いをしていくつもりかお聞かせください。

元々は、「父と森さんがやってきた以上のことをやってやるんだ!」って思ってましたよ。でも、今は、次につなげるのが自分の仕事だと思っています。だってよく考えたら、この窯は、そのふたりがつくったものでもない。その前には山奥から里に窯を移した祖父がいて、その前にもひいじいさんがいて、その前にも、その前にもいた。その長い間の浮き沈みを考えたらね、私が肩肘張って、背伸びする必要はないんですよ(笑)。

白山陶器
長崎県東彼杵郡波佐見湯無田郷1334

松尾慶一
白山陶器代表、8代目。

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