
日本全国津々浦々、長い歴史を持つ窯は少なくない。しかし、その窯を継ごうとする若い世代の人間がどれほどいるだろうか?焼き物職人の家に生まれ、その素晴らしい技術やデザインの遺産を前に、18代目となる若き窯の主は何を想う?
取材:鈴木隆文

この窯の18代目ということですが、長い歴史があるのですね。
歴史があるということは、僕はプラスとマイナスの両面があると思っています。営業などに出かけてお客さんに説明をするときは、その歴史を語れるわけですから、強みになります。しかし、同時に先人たちがなし得てきた偉業を目の当たりにすると、萎縮して気が重く、気が遠くなるんです。自分自身が未熟だということもあり、技術や美的センスなど、先人達はとんでもない領域にまで到達していたんだなぁ、と。伝統の重みというものをひしひしと感じるのです(笑)。
中里さんは、随分お若いですけど、お父さんの代からやり方を変えたところなどもあるのでしょうか?
先代は、問屋に卸すだけでもやっていけました。でも今は、なるべく攻めの姿勢で三河内焼きの知名度を高めようとしています。東京を中心に日本全国、個展や展示会に参加しているんです。顔の見えるものづくり。そんな販売方法を採ったことで、少しは知られるようになりましたし、何より個人のお客さんから直接フィードバックが来るのがいいですね。

この窯ならではの商品なんていうのも、フィードバックの声があると開発しやすいでしょうね。
そうですね。卸し問屋というのは、実はあまり焼き物の知識がなかったりするんですよ(笑)。だから、卸しだけに出していると、知識のない不確かな彼らの、しかも無責任な情報を元にものづくりをしなければならなくなってしまう。その点、お客さんはダイレクトなコメントをくれますからね。加えて展示の現場にいるギャラリーの人たちというのは、本当に深い焼き物の知識があるんです。
知識や技術というものは、名を広めていく上では、重要な鍵ですよね。中里さんご自身は家で焼き物の知識を得たのでしょうか?
そうですね。幼少の頃から、窯元に育っているので、他所の人よりは、つくっているところを目にしたり、専門用語を耳にしたりはしていたので、その分は入りやすかったと思います。でも、実際は、僕は、25歳くらいまでは、割と自由にやらせてもらっていたんです。学校でも興味のあった福祉を学んだり、フリーター生活のようなことをしたり。焼き物の知識を正式に得たのは、2年間いた技術センターでしたね。それから、その後に、オランダのデルフトという土地にある王立の窯でも研修をさせてもらったことがあります。一旦、家業を継いだら、身を入れてやっていかなければならなかったから、それまでに他の世界を見ておきたい、そう思ったんです。

伝統の重みが肩に乗る前に、見聞を広めておこうと…。
そうです。僕が本気でやる気になったのは、自らのルーツを韓国で目の当たりにしてからですね。平戸藩に連れてこられる前、僕らの先祖は韓国で生活をしていたわけです。それが、2度の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)豊臣秀吉の命によって、あちらの焼き物産業を根こそぎ、ここへ持ってきてしまった。でも、今、日本に住む僕らにしてみれば、もう過去のことですよね。ところが、今も朝鮮に残された末裔たちの頭の中は400年間時間が止まっている。道なき道を通されて辿り着いた場所で、手厚い歓待を受けるんですから。そして、一行の中にいた、平戸家の末裔が形式上、当時のことを謝罪すると、「あのときは、お互いよく戦ったね」という話になるんです(笑)。400年前のいくさの話を、生々しく語るんですから参ってしまいますよ。でも、ルーツを知るということは、いいことだなぁと思いましたね。だから、自分の子供にも、こういう事実はしっかり知ってもらいたいとは思っているんです。
平戸洸祥団右ェ門窯は、その当時から続いているのですものね。
実際には続いているんですけど、途中お家騒動のようなものもありましたので、その辺りは入り組んでいるんですけどね。

お家騒動というと?
本当は、長男が家を継ぐ、というのが、この近辺では古くからの習わしなんです。で、僕の祖父は長男だった。でも、祖父は大正時代に戦争に取られてしまう。その間、末太郎という祖父の弟にあたる人物が窯を仕切っていたんですね。ところが、終戦を迎えて、祖父が帰ってくると、窯は弟に仕切られている。祖父としては、その事実が面白くないわけです。それで、祖父は自分の窯をつくるようになったわけですね。
なるほど、現在、数名のスタッフでチームを組んで製作されているようですが、このようなしっかりとした形をつくるのは大変だったんでしょうね。
いや、今の規模は、全盛期に比べたら、どうということはないんです。元々、うちの窯は、全盛期には百数十人も職人を抱える大きな窯だったんですから。それでも、戦後にGHQからのお達しで手を出したビジネスが、うまくいかずにスタッフを大量解雇しなければいけなくなってしまったんです(苦笑)。

100人以上で焼き物をやっていたというのは、凄いですね。で、そのGHQのビジネスというのは、どういうものだったのでしょうか?
GHQが、三川内焼の技術でもって洋食器をつくってほしいと、大量の注文を出してきたんです。アメリカに輸出するからということで。ところが、当時アメリカのこの産業では、折からの不況、不景気がはじまってしまう。そして、結局は、アメリカにあった取引先が倒産してしまうんですね。その波をウチも受けたわけです。
それにしても、いろいろな歴史を持った窯ですね。「伝統の重み」という言葉の意味がよくわかりました。
ですから、これから先は、先人たちが残していったものに学ぶという姿勢を大切に、この焼き物を広める事業をしていきたいと考えているんです。美的センスや技術的な観点からも、とってつけたようなものや、ただ奇抜なだけのものはやるつもりはありません。今という時代の生活スタイルを考えながら、伝統的な三川内焼の、古き良きデザインというものを伝えていけたらいいと思っているんです。
平戸洸祥団右ェ門窯
長崎県佐世保市三川内町889

中里太陽
1977年長崎県佐世保市生まれ。

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