
季節の色を探り、野山と対話する。自然の草木から色を集め、その色を糸に染め、自らの作品へと昇華させる。染織とは文字通り、「染めてから織る、織ってから染める」というふたつの工程を表現した言葉だ。草、根、花、木、皮など、一切の化学物質を使用しないので、まさにすべてが自然から紡ぎ出された織物である。この染織というキーワードを手がかりに世界を旅し約40年の間、これに向き合い続けてきた染織家・渡邉つる子の話を聞いてみよう。
取材:鈴木隆文

元々、つるさんはどうして染織にご興味をお持ちになったにのでしょうか?
私の家は父が弁護士をやっていたものですから、高校生時代の頃は、元々、私も弁護士になろうと思っていたんです。そうしたら、父が随分怒ったの。「女の弁護士なんて許さない!」って具合にね。それで、「じゃあ、私の好きなことをやらせてください」と言って、女子美術大学工芸科というところに入学したんです。子供の頃から、絵を描くことや何かつくったりすることは大好きだったのと、知人でたまたま染織をやっている人がいて、その方がそこに行けば染織の勉強ができると言うもので、それがきっかけね。
実際の染織の世界は予想とは違ったのではないですか?
それが実際にやりはじめると、面白くてどんどんと染織の世界に引き込まれていってしまったんですね。学校も本当に充実していましたね。加えて、私は、日本中、染織の職人さんを訪ねて旅をしたのね。それこそ、南から北まで。東北では機を探して歩いたり、沖縄なんかも歩いて、そこに住まうつくり手の方の技とつくり手の方々の気持ちっていうのかな、そういうものに随分、影響されてみたり。苦労したのは、機織り機が置ける下宿を探すことでしたね(笑)。そういう借り手もめったにいないでしょうから大家さんも困ったんでしょうね。


どんな点に惹かれていたのでしょうか?
私の師にあたる人が、民藝運動を先導していた柳宗悦さんの甥の柳悦孝先生でした。ですから、民藝運動というものにも私自身は随分と大きな影響を受けてると思いますよ。だから私は、基本的には飾る物じゃなくて使う物、日用品の中にある美みたいなものに興味がある。勉強していくと、目的がはっきりしている物の良さってあるし、使うほどに美しくなるものって面白いんです。迷いはなくて、ただただいろいろなものを織ってみたい、そういう気持ちだったんです。
当時、染織を仕事にするというのは、自然なことだったんですか?
全然(笑)。当時はもう、家内工業をやっているようなところでさえ、ナイロンとかそういう素材がいっぱい出てきて、そういう量産の人工素材に押されてしまっている時代だったの。だから、私が独立した頃というのは、「何が面白くて、この時代に逆行するような染織なんてことをするんだ」って、随分いろんな人に言われましたよ。
染織家として、ひとり立ちをされたのは仙台になるんですよね?
はい。結局、東京には約5年間いて、4年間大学、1年間を紬織で知られる人間国宝・宗廣力三という方のところに無理矢理置かせてもらっていたんです。その後、当初の予定通り仙台に戻ることにしたんです。戻ってからは、すぐに独り立ちしましたね。当時は仙台には素人みたいな先生が何人かいてね、大学まで行って本格的に染織までやってきたという人は怖れられていたみたいですね。でも、認めてくれる人たちも沢山いました。だから、商いとしてはやりやすかったですね。そういう人たちの口コミで広まっていっていきましたから。
ところで、つるさんは海外で素材や染織の勉強も随分されているみたいですね。
中国だとかラオスだとかベトナムだとか、アジアの少数民族ばかりをいくつか訪ねて歩かせていただきました。いろいろ歩いてみてわかるのは、鑞染めとか、いろいろな染め方があるんですけど、日本の技法はほとんど元々はあちらを通ってやってきていますね。ただ、日本人は気質的に几帳面で繊細な仕事をしますね。でも、アジアの方は、技術の流れが途切れてしまっていますね。でも、どこに行っても、ものづくりをしている人とは心が通じますね。言葉が通じなくても機をやっているというだけで共感を持ってくれたりするんです。そういうのは経営者じゃ駄目ね、手を動かして物をつくっている人と通じるの。そういう人には警戒心を持たれたことがないですから。

一番印象に残っている国というのは、どちらのの国でしょう?
私は、タイという国には、40年位関わりを持っているんです。最初は、タイのイサーン地方という、水かけ祭りで有名な農村の人たちを集めるから布の説明をしてほしいと「手織り物を通してタイ農村の婦人たちとつながる会」からの依頼を受けてね。それからは、2年に一度くらいは行っていると思います。女性の自立の支援とタイの伝統的なものづくりを支援するためにね。当時は、旦那さんが麻薬でボロボロになってしまったり、、蒸発してしまったり、いろいろな問題がポロポロ出てきた頃だったんです。ですから、日本の材料は持ち込まず、現地の材料だけを使って、女性がものづくりをして自立できるようにね、全部で15村くらいで教えたのよ。みんなで桑を植えたり、糸をとったり、一回に2ヶ月間位現地に滞在してたかしらね。最初は、彼女たち、字を書けなかったような人だったのが、10年後には自分たちでメモを取っていたりして、もうそれ見たら、「ああやって良かったな」って泣けてきましたよ。




では、最後になりますが、今後のビジョンなどがあれば、お聞かせください。
ビジョンなんて大袈裟なものはありません。できるだけ長く続けていければ、そう思っています。私は、四季折々の自然の草木の生命の色が一番美しく引き出せたら最高に幸せです。野山を歩くときは、いつも「この葉っぱはどんな色に染まるかしら」と想いながら散策してます。パレットには、もう随分いろいろな自然素材から取った、自然の色のサンプルがあるでしょう。スタッフとは「私たちいつも遊んでいて、見本ばっかりつくっているみたいね」なんて言って笑い合っているんですよ。若い頃から比べると、ゴテゴテしたものをどんどん取り払って、どんどんシンプルになってきています。後継者問題というのは、あまり考えないようにしています。私の名前とか、屋号とかはどうでもいいことなので、この工房じゃなくてもやっていける人が育てばいいと思っていますね。でも、たまに小学生なんかがここに見学に来て、「何年やったら一人前になれるんですか?」って言われるのには、言葉が出てきませんね(笑)。子供なのにそんな計算するなんて、なんだか悲しいですよね。
染織工房つる
宮城県仙台市太白区秋保町湯元字上原54-27

渡邉つる子
宮城県塩竈市生まれ。1968年女子美術大学工芸科卒業。柳悦孝、宗広力三に師事。染織家。

4 コメント
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すごいですね!!
ここに行ってつるさんの仕事を見ることは出来ますか?つるさんと話が出来ますか。
連絡先があれば、是非教えて下さい!!
Posted by: lisa @ 8月24日2008年
サイトに連絡先がありますので、連絡してみてください。
http://www.someori-tsuru.jp/
make編集部より
Posted by: admin @ 8月29日2008年
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Posted by: christian louboutin @ 11月10日2011年
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Posted by: Hayden @ 11月22日2011年