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鯉に恋した男:橋本弥喜智商店

4月29日2008年 カテゴリー: 伝統, 国内, 工芸

鯉に恋した男:橋本弥喜智商店

日本では、5月5日に、いたるところで旗のように鯉が舞う。鯉のぼりは、子供の日の風物詩だ。創業100年の歴史を誇る手描き鯉のぼりの専門店が、埼玉県の加須市にある。元々は、「際物屋」という不思議なお店だったという同店に、3代目となる店主を訪ねた。鯉のぼりって、何ですか?

取材:鈴木隆文、鳥越寛子

111メートル!にも及ぶジャンボ鯉のぼりのデザインも、橋本さんの手による

職人さんたちが共同作業を行う工房には、活気があふれる

「際物屋」というのは、ちょっと聞いたことがないですね。

際物というのは、「際」という言葉から分かるように、瀬戸際、間際のもの、つまりギリギリでもものをつくるお店のことです。お正月飾りとか、花、提灯など、催しものに使う物を何でも売るお店だったんです。

そのうちのひとつのが、鯉のぼりだった、と。

はい。でも、どうして、祖父が鯉のぼりだけを扱うようになったのかは、僕も知りません。今となっては、謎なんです(笑)。ただ、祖父は、相当に腕のいい手描き鯉のぼり師でありましたからね。好きだったのかもしれません。

空に掲げたときに、より自然に見える位置に、黒目が配置されている

遠くからでも、力強く見えるように、線の太さや余白が描かれている

ところで、「鯉のぼり」というものは、どんな歴史を持ったものなんでしょうか?

実は、これについても謎なんです(笑)。一般的には、中国の登竜門伝説から来ているということが、知られています。黄河を泳ぎ上ることができた鯉だけが、龍になれる、という伝説です。この話にちなんで、我が子の「立身出世」を願い、空に上げるのではないか、と。でも、某百科事典編纂者が、鯉のぼりの由来を明確にしようと、単なる僕をはるばる訪ねてきたこともある位ですから、その歴史ははっきりしないんです。ただ、中国にはない風習ですし、江戸時代中期の歌川広重やその他の絵で、鯉のぼりがあがっている図があるので、江戸時代中期にあったことは間違いありません。ただ、僕は単なる職人ですからね。歴史のことは、はっきりとはわからないんです。

では、話は変わりますが、橋本さんは、手描きで鯉を描く技術をどうやって習得されたのですか?

子供の頃から、鯉のぼりに囲まれて生きていましたから、自然とでしょうかね。この辺りは、「鯉のぼり」の生産量が日本一で、全盛期には40軒ほど同業者がいましたから、「鯉のぼり屋」というものが、僕にとっては、当たり前の、普通の商売だったんです。それに、僕は、元々、絵を描くのが大好きでしたから、元々、性に合っていたのかもしれません。それに、しばらく鯉に向き合っていると、鯉を好きになってしまった。鯉に恋するようになるといういいますか(笑)。


江戸時代、歌川広重によって描かれた鯉のぼり

本当に生命が宿ったように泳ぐ鯉たち

とても大胆なデザインの鯉のぼりが印象的ですが、どんなことからインスピレーションを得ているのでしょう。

そうですね。私は、伝統工芸も、社会の進歩や進化に合わせて、デザインは変わっていかなければならないと思っています。だから、デザインの種類も増やしました。それから、どんなことも気を配って、制作の参考にするんです。ミュージカルを観に行けば、こんな感じの色の表現をすると、平和な感じが出るんだなあとか。特に色に対しては、敏感だと思います。

では、豊富な種類のデザインは、昔からあるものではないのですか?

これは、すべてが僕のデザインで、今は、全部で17種類あります。父の代には3種類、祖父の代は2種類だけでした。お客さんから「先生!」なんて、お呼びいただくこともあるのですけど、本当は、僕の方こそお客さんを「先生」と思っています。それはどうしてかと言うと、デザインの多くは、お店に来てくださったお客さん(坊や、お父兄、祖父母)のリクエストから、発展させていったものなんですから。彼らの曖昧な言葉を聞いていると、僕の脳みそは、その言葉から一枚のカラー画面が浮かんできて、そこに鯉のぼりが映る仕組みになっているんです(笑)。

目、うろこ、尾ひれ、などのディテールを見ると細かなところがかなり異なり、購入する人が迷う気持ちもよくわかる

「人の趣味趣向というのは、十人十色、だから、多くの種類を用意した」ということでしょうか?

それどころか、一億人一億色ですよ(笑)。誰もが、みんな違うんです。ウチのお店に来る、いかにも仲良さそうな夫婦でさえ、指差す鯉のぼりは異なります。そういうときは、喧嘩させないように、「2枚買っては、どうですか? そうすれば、お二人も仲良いままで幸せ、私も商売繁盛で幸せ、となるでしょ」と提案するようにしています(笑)。

なるほど。それにしても、このお店は、中も外も、活気にみなぎったところですね。

はい。でも、私が、父の急逝で、25歳で継いで30歳になる位のあたりまで、だいたい1970年前後の話でしょうか、このお店も危なかったんですよ。

店内の様子

手描き鯉のぼりのできるまで

それは、経営難だったということでしょうか?

はい。ナイロン製の鯉のぼりが出現しはじめて、手描きの鯉のぼりがまったく売れなくなってしまったんです。お客さんは、最新式の鯉のぼりといえば、ナイロン製ということになって全く売れなくなってしまった。だから、もう店じまいをするのは、時間の問題。当時、店で働いてもらっていた職人さんたちの間にもどんよりした空気がはっきりと漂っていましたね。何しろ、40軒まわりにあった鯉のぼり屋の中で、残ったのがウチだけになってしまっていましたから。

でも、その後も、ナイロン製の鯉のぼりの勢いは止まらなかったはずですよね?

はい。だから、ウチでもシルクスクリーンのプリントの鯉のぼりづくりをしていたんです。でも、それはささやかな最後の抵抗という感じでした。そこで、僕は、いよいよ「100年後に、最期の手描きの鯉のぼりを見た人たちに、”こんな鯉のぼりだから絶えたんだ”と言われるんじゃ悔しい。 せめて”こんなにいい鯉のぼりがあったのに、どうして”と思ってもらおうよ」と言って、店の職人たちに3mの布生地を渡したんです。「これで、自由に自分の好きな鯉のぼりを描いてよ」って。

職人さん自身が、自分で自由にデザインまで描けたわけですね。

はい。それで、彼らが描いてきた鯉のぼりをズラッと並べてみたんです。そうしてみると、それぞれが、なかなかの出来映えです。で、僕が、「この作品は目がいいね、この作品はウロコがいいね」と、それぞれの良いところを褒めていって、「それぞれの良いところを合わせた合作をつくってはどうか」と提案したんです。そうしたら、みんな目が爛々と輝いてきてしまって、それまで漂っていた、どんよりした空気が、一気にピーンッという空気に変わってしまったんです。

お店自体も、まさか、そこから活気づいたのですか?

はい。ある日、横浜から、「手描きの鯉のぼりはありませんか?」って、電話が入って、「ああ、ありますよ」と売ったんですね。そしたら、今度は、別のところから、「手描きの鯉のぼりがほしい」と訪ねてくる。そうこうするうちに、口コミで広がったんでしょうか。どんどんと活気づいていった。今じゃ、もう、休みがないくらいに忙しい。ありがたいことで辛くはない。何しろ、僕は、鯉に恋してますから(笑)。辛いのは、売ってあげたいのに、売るものがないときは、本当に辛いですね(笑)。

では、逆に、やっていて嬉しいことは?

それは、何より、お客さんに喜んでもらって、後で手紙なんかもらったときです。買ってもらった後にいただく手紙には、損得勘定はないでしょうから。

喜んでもらうまでの腕前になるには、時間がかかるんでしょうね。

僕自身、まだまだ一人前じゃないと思っていますからね。三生やってようやく一人前なんじゃないでしょうか。ああ、三生というのは、一生じゃなくて三生。三回分の人生ということ(笑)。僕は、生まれ変わってきても、お金になるからって、IT関係の仕事なんかやりません。また、鯉のぼり屋をやりたいんです。

橋本弥喜智商店
埼玉県加須市土手1丁目12番12号

橋本 隆
橋本弥喜智商店3代目、手描き鯉のぼり職人




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