
豪快に鳴らされる太鼓の音。浅野太鼓を世に知られる和太鼓メーカーに育てあげた浅野昭利氏は、17代目である。和太鼓というものを世に広めた立役者は、地元、石川県白山市に太鼓の里を築く。ここから発信された文化は、日本はもとより世界にも響く。太鼓文化に残した、決して小さくはない彼の功績。その原動力とは何だろう?
取材:鈴木隆文
協力:鳥越寛子


創業はいつになりますか?
1609年の創業やね。その頃は、武具とか鞍などの革製品をつくる工業集団だった。太鼓づくりは、それを元に代々やってきたことや。他にも、三味線とか鞄つくったりということもしとった。
すると、和太鼓づくりに本格的に取り組むようになったのはいつ頃なのでしょう?
35年前(1972年)かな。40年前(1966年)くらいから、芸能としての和太鼓が徐々に盛んになってきた。

作業は手際良く進められていく

女性スタッフの活躍が目立つ
芸能としての太鼓は、その頃は、さほど人気のあるものではなかったのでしょうか?
舞台芸能としての太鼓が飛躍的に伸びたのは1973年くらいやな。佐渡島でみなさんが頑張って起ち上げた鬼太鼓座(おんでこざ)が、コンサートという形で、会場を借り切って、演出して、お金もらって、お客さんに見せるということをしたのがはじまり。それ以前は、お祭りや宴会などではやってたけど、舞台での太鼓というのはなかったな。
では、それ以前は、革製品をつくることだけをしていたわけですか?
いや、田んぼもやってたよ(笑)。私が30代後半の頃は、田んぼもやらんな、太鼓もつくらんなで。昔は、田んぼと革の仕事は家族で分担してた。田んぼは朝前に。稲刈りを10時まえにやったら、仕事の合間合間に太鼓づくり。その頃はまだ、太鼓の方は忙しくなくて、のんびりしてたから。でも、昭和45年に会社組織にしてからは、太鼓が柱やね。


太鼓の博物館も併設されている

太鼓の雑誌の出版まで!
太鼓を柱にしようと思ったのは、どうしてですか?
もともと、浅野の太鼓の技術が高かったからや。技術が高かったのは、父親ががんばっていたということもある。それと、この地方は、白山という山があって綺麗な水のお陰で良い革がつくれた。加えて、「虫送り」と呼ばれるお祭りが盛んで、そこでは「トントン」という音ではなくて、少し高い「シャンシャン」という音が求められた。その音を出すためには、太鼓を破ける寸前まで張らなければいけないから、自然と技術も高められる必要があった。それと江戸時代には、良い革職人がおらんことには、良い武具もできん。なめしが下手だと、鉄砲玉が飛んできたり、刀で切られたりした時代や。昔、太鼓つくってたのは、職人が技術を高めるためでもあったんや。
太鼓づくりは、音を知らなければできないと思うのですが、浅野さんは、音については、お父さまに学ばれたのでしょうか?
そうやね。小学校3年生くらいの頃から、手伝いばかりやらされていたから。それが嫌で嫌でしょうがなくてね。革づくりの現場は、糠を発酵させたニオイがきつくて、それが大嫌いだった。父親も厳しかったしね。太鼓の左右の音が違ったら大変だった。明日お祭りっていう間際のときでも、革の張り直しをさせられたから。でも、そうしてきたからこそ、自分の指先に音を感じられるようになったんやろね。


浅野さんは、太鼓を文化としてもビジネスとしても広めてこられたという点が、ユニークだと思うのですけど、そのふたつのバランスを取るのは難しかったのではないでしょうか?
それは難しいね。今は、工場、店、出版、資料館、練習場と5つの柱を旨くバランスさせながらまわしていこうとしている。私は、自分の指先に音を持っていて、太鼓づくりに関しては「本物をつくらんと」という気持ちがあるし、経営者としては目標の経常利益を上げなければいけない。
いろいろ新しいことを取り入れての展開は、さまざまな可能性に挑戦しようという考えからなのでしょうか?
自分の想いというよりも、何代も引き継がれてきて、自分の代だけ預かっているもんやないの? 次にバトンタッチしていかなければいかんのやど、小さく渡すんじゃなくて、ちゃんとして次に渡さんとという想いだけで、気付いたら結果的にこうなった。


でも、それにしては着眼点が能動的だと思うのですが?
30代の頃に、太鼓というものを通じて、ボストンに行く機会を得て、そこで鬼太鼓座がオーケストラと競演するのを目の当たりにしたり、わしらは米しか食わないけど、道ばたでパンにセロリはさんで食べている人を見たり(笑)、40キロものマラソンが終わった直後に太鼓を叩く人がいたりするのを見て、いろいろ感じたことが後で財産になったんやろな(笑)。

胴に張られる前の革面

胴のどこかに付けられる?
炎太鼓は、非常にクオリティの高いパフォーマンスを世界中で繰り広げておりますが、彼女たちをプロデュースしようと思い付いたきっかけはどんなものだったのでしょう?
元々、鬼太鼓座や鼓童と付き合いがあって、彼らが世界に出たときに、自分自身でも何かできないかと考えてたんや。そこにたまたま、私に相談を持ちかけてきたのが、後の炎太鼓のメンバーとなる女の子らだった。でも、最初は、「宴会などで打って、ウケければいい」くらいに思っとった(笑)。そしたら、どんどん伸びてきて。ワシントン、ロシア赤の広場、モンゴル、セネガル、キューバなど、世界中に呼ばれて、拍手を浴びるようになった。あの頃は、ひびのこずえさんが衣装で協力してくれたり、山本寛斎さんが演出をしてくれたりして、いろいろ助けてもらったからこそできたことやな。
女性が3人という編成も面白いですよね。
昔だったら、女性が太鼓を叩くなんてことは許されなかった。神社の太鼓なんかで女性が叩こうものなら、泣くほど怒られた。私があまり男か女かということにこだわりがないのは、女の人に力があるのを感じてたから。女性は、桶でも彫刻でも胴でも、男より上手くつくることがある。ウチの会社も、社員の約半数が女性スタッフや。

浅野さんは、今後、太鼓をどんな方向に導いていきたいとお考えなのでしょうか?
伝統的な音だけは、何とか残していきたいね。最近は、中国製のものをはじめとして安い合成の製品がはびこっている。でも、太鼓には、ケヤキの木でしかだせない音というのがある。だから、ウチの太鼓の胴の素材は、ケヤキにこだわっていきたいんや。5年前からケヤキの植林もはじめた。それで、50年後、80年後、100年後には、立派な林ができるはず。もっと早くはじめれば良かったんやけどな(笑)。
浅野太鼓楽器店
石川県白山市福留町587-1

浅野昭利
石川県白山市生まれ。㈱浅野太鼓楽器店代表取締役専務。

4 コメント
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親愛なるPingMagMAKE読者の皆様
12月31日2008年
科学する心で伝統を見つめる:大辻朝日堂
12月16日2008年
ニッポン製Tシャツがゆく:久米繊維工業
12月9日2008年
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12月2日2008年
石を売る人:佐藤庭石店
11月25日2008年
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11月18日2008年
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11月11日2008年
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11月4日2008年
将棋駒に宿る匠の技:天童佐藤敬商店
10月28日2008年
木工職人のお話:多田木工製作所
10月21日2008年









和太鼓の体にしみわたる響きはたまりません。
この感動を世界各国の人々に伝えたい。
世界のどこにもない超巨大な太鼓を作って度胆をぬいてやってください。
こんなにでかい太鼓で超重低音が響く。
痛快ではありませんか。
直径5mくらいの常識では考えられない超ド級の太鼓はできないものでしょうか。
Posted by: 太鼓大好き @ 8月17日2008年
太鼓の響きはたまりませんが
世界が驚く超ド級の超重低音が響く
太鼓はできないものでしょうか。
ギネスブックに載るような巨大な
太鼓です。直径5m~10mくらいの今までの
常識では考えられないような大きいものです。
日本人はなんてすごいことをやるんだ、
こんな太鼓ができれば痛快です。
ぜひ作って下さい。
Posted by: 太鼓大好き @ 8月17日2008年
太鼓の響きはたまりませんが
世界が驚く超ド級の超重低音が響く
太鼓はできないものでしょうか。
ギネスブックに載るような巨大な
太鼓です。直径5m~10mくらいの今までの
常識では考えられないような大きいものです。
日本人はなんてすごいことをやるんだ、
こんな太鼓ができれば痛快です。
ぜひ作って下さい。
Posted by: もう一度送ります @ 8月17日2008年
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Posted by: christian louboutin @ 11月10日2011年