
箔という、特殊な素材。長いこと、材料としてしか扱われてこなかったこの素材を高い技術を映すオリジナル商品、地域ブランドにまで育てあげた人が金沢の地いる。しなやかな発想と並外れた行動力を持った彼女に、ものづくりと事業に対する想いを聞いた。
取材:鈴木隆文
協力:鳥越寛子

どんなことがきっかけとなって、金箔に関係する事業をはじめることになったのですか?
元々、私は、金箔とはまったく関係なく生きていたんです。出身地の京都では、ただのOLをしていましたから。嫁いだ先が、箔屋さんだったというだけで、最初は普通の主婦だったのです。しかし、端で夫の仕事を見ていて、ちょっと「?」と思うことがありました。当時の箔業界は、お客さん主導で商いが全てまわり過ぎていて、返品が先方のやりたい放題でした。当時主婦だった私としては、いろいろローンも組んでいたのに、夫の給料が現物支給になると困るわけです。発端となったのはそんなことで、問題の原因を頭の中で探りはじめたわけです。
その原因とは、どんなことだったんですか?
まず、当時、箔というのは、生産者に納品されるただの材料でしかありませんでした。全部他産地の名前に変わってしまって、名前がどこにも残らないわけです。例えば、西陣なら西陣織に変わるし、三河なら三河仏壇に変わってしまう。だから、末端のお客さんまで、中間業者を飛び越えて売れる商品がないといけない。そうでなければ、金沢箔の名前が残らない、そう思ったわけです。それで、夫には自分たちで技術開発をして、金沢箔の商品を作らないといけない、ということを提案しました。


竹枠を当てて一枚一枚裁断

箔には細心の注意が払われる
主婦でありながら、旦那さんの会社の社員でもあったんですか?
いいえ。私はずっと主婦でオイルショックになったときまで、箔なんて触ったこともありませんでした。でも、横では、子供が泣いてます。そんな中、いつまでも古いやり方をしていても、何も変わらない。当時は、家や夫を少しでも助けたいという想いが強くありました。だから、意見を出したのです。でも、「それをやるのなら、本家とは違うところでやりなさい」と結局、本家を放り出されてしまったんです。

主婦で子育てをしていて、箔に触ったことがなくて、本家も出された!そんな状態で箔の事業をはじめようとする労力は並大抵のものではないですよね?
はじめたばかりの頃は、何もかもさっぱりわかりませんでした(笑)。でも、負けたくなかった。期せずして、本家を出されてしまったということもあって、戦っていきたかったんです。だから、商品開発というものづくりの部分から、ひとりで研究をしはじめたんです。ものづくりは専門の学校で教わったわけではなく、母から学んだものです。母は、洋裁と和裁を嗜んでいましたから。安くて小さな端切れが、母の手にかかるとオリジナルのドレスに変わる。私は、それをずっと見てきました。だから、自分でモノを作って、開発して、技術をそこにプラスし、付加価値をつける。それを身を持って知っていたわけです。


「小間打ち」と呼ばれる工程

迫力ある音を立てて箔を打つ箔打機
ひとりでつくられていたときは、何をつくられていたのですか?
茶托、銘々皿、お盆などです。あのころは、木の材料は買えなかったから、プラスティックで補っていました。それに、箔も、金ではなく銀しか買えませんでした。お金がなくって。だから、最初は、「銀の変色技術」に着目して、商品開発を進めていったんです。
「銀の変色技術」というのも、独学で学ばれたのですか?
これは偶然生まれたものなんです。あの当時は、子育てをしながら、自宅で商品開発をしていました。そうしたら、子供が汚い手でベチャベチャと開発中のモノを触ってしまって、そこから銀が変色したんですね。そのときできた箔の表情が面白いなあと思ったわけです(笑)。銀というのは、加工しないと鼠色に変わったり、温泉に入れたりすると真っ黒けになったりします。そういう変色技術を研究して、独自のものにしていったのです。もちろん最初は、そんなもの受け入れられませんよ。それどころか、旧態依然とした箔業界を知った人からは怒られました。でも、私は、怒られても続けました。しばらくそうしていると、その技術に反応してくれるお客さんが出てきました。最初に「綺麗ですね」と認めてくれたのは、東京のデパートでしたね。

デパートだったんですね。では、デパートへの流通経路は、当時から既にあったということなのでしょうか?
いいえ。当時の私は、「モノを買いに行くのがデパートなら、モノを売りに行くのもデパート」という発想があったんです(笑)。電話もしないで、茶托とかお盆とか銘々皿とかを携えて、飛び込みで訪れて、エレベーターガールさんに「どこに商品を持っていったらいいですか?」と聞いたわけです(笑)。当時は、成功者の皆さん、そうやって事業を伸ばしてきてると信じて疑わなかった。出会ったモノ、技術、人、マーケットを自分なりに繋いでいったらいい、そう信じていたのです。それで、デパートで商品を扱えってもらえるようになったわけです。とにかく、最初は、たったひとりしかいませんでしたから、何でも自分で考えて動く必要があったわけです。
ひとりで起業した事業がみるみると大きくなっていく過程では、どんな想いを抱かれていたのでしょう?
最初は、自宅の狭い空間に、机ひとつに電話もひとつではじめましたからね。それが、創業してから3年後にようやくパートも雇えるようになって、その後、工場も建ち、本社ビルも建ち、と会社がどんどんと大きくなっていったわけです。事業が大きくなる過程では、途中、「本当に、これは私がしていることなの?」と、怖い気持ちに襲われるようになったこともありましたよ。でも、根本的には、「事業を大きくしたい」という大きな目標がありましたから、とにかくひたすら努力をしたんです。

3次元の模型の凹凸にも

独特の金の色を放つ

今では金箔の業界では、かなり独創的なポジションを築かれていますね。
ナンバーワンではなくて、オンリーワン企業ですよね。全ての技術が、オンリーワンです。大量に作れなくても、自社だけができるものだけを世に出すというのが、当社の事業コンセプトです。お客様には、感動と引き換えにお金を落としていただいている。いつもそういう気持ちでやっています。他の国や他の企業は、表面的に商品の模倣はできても、技術に裏付けされた感動の模倣はできない。しかも、多品種小ロットをできる製作所があれば、1個2個の受注でも対応できるわけです。だから、箔一では、「機械化半分、手作業半分」というという製造の方法を「50対50の法則」と呼んでいます。私は、大量生産は好きではありません。手の温もりを残すことが大切なことだと思っているんです。高くてもやっと買える。だから、大切にモノを扱う。私どもの箔一では、そういうスタンスで、モノづくりをしているんです。

お話をお伺いしていると、浅野社長の事業の進め方、ものづくりには、男性的なところと女性的なところがとても上手く調和しているように感じられます。
自分自身では、経営感覚は男性的、ものづくりは女性的だと感じています。実は、私、ものづくりには厳しいんですよ。たくさんの愛を注いでいますからね。だから、今でも、技術会議、デザイン会議、企画会議だけは欠かさずに出席して、檄を飛ばしているんです。経理をやって、営業もやって、マーケティングもやって、商品開発をしてと、創業時は、全部ひとりでやっていたから、ものづくりだけじゃなくて、どの部分に対しても細かいところまで気になってしまうんです。商品を発送する段階の荷造りだって、いまだに配属のスタッフより私の方が早く、上手にできるかもしれませんよ(笑)。でも、ひとりでやっていたという原点は、当時、ただ単にお金がなかったということだけなのですけどね(笑)。それが、今の肥やしになっているわけですね。今では、いい社員に恵まれて、彼らには感謝しています。
なるほど、では最後に、今後どのようなものづくりを進めていくお考えかを聞かせてください。
伝統の技を継承しつつも伝統を伝統のままで終わらせない。箔一独自の技術で、新しい分野で、時代にあったものづくりをしていきたいと思っています。そして、今まで通り、日用使いの箔を用いた商品を金沢から発信していけたらいいですね。


箔一
石川県金沢市森戸2-1-1

浅野邦子
京都府生まれ。箔一創業者。

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トムさんにこのブログをご紹介していただいて、しっかりと読ませていただきました。トムさんが、まさに今の私にくださったメッセージであると受け止めております。どうも有難うございます!!とっても勇気が持てました。ラッピングの良さを世界に広めたいと、また改めて強く思っております。とってもいいお話しをどうも有難うございました♪
Posted by: Tsuzumi @ 11月1日2008年