
江戸時代に建てられた藍染工房。その作業場にズラリと並べられた藍の窯には、紺色の液体が張られ、まるで、そこに悠久のときがたゆたっているような情緒を感じさせる。日本の生活を長らく支えてきながら、今は脇に追いやられてしまった藍染めという存在。この伝統的技法で、今日も粛々と家業を営む男は、謙虚かつ知的でありながら、情熱を胸に秘める。
取材:鈴木隆文


この藍染工房は、いつからはじまったものなのですか?
創業は200年以上も昔のことです。初代が、自分の子供を亡くし、その深い悲しみ
から「人が集まってくる仕事をしたい」と」はじめたのが同工房の起こりだと伝えられています。この建物自体が江戸時代後期に建てられた建物で、鍵屋式の住居と呼ばれるものです。私は、この藍染工房の9代目です。
「9代目」や「江戸時代」という響きは、もの凄い歴史を感じさせますね。
まあ、何とか、伝統を後世に繋いでいこうとやっていっているという感じでしょうか。今は、藍染めというもの自体、若い人にはあまり馴染みがないはずです。でも、かつては、藍染工房は紺屋と呼ばれ、日本全国至るところにありました。栃木県だけでも、数百はあったと言われています。かつては、日本中の衣が綺麗に青く彩られたんです。だいたい日本人の衣服の8割は藍で染められていたといいます。

織物もする日下田氏

機織りの機械
いつを境に藍染工房が減っていってしまったのでしょう?
明治時代が終わった後、安く大量に染まる新しい化学染料が発明されて、それから減少の一途を辿ったのだと思います。藍は、世界の歴史においても、さまざまな民族の間で用いられ、彼らの衣服を彩ってきた植物染料です。そんな中でも、日本の藍染めは、世界から「ジャパンブルー」だの「広重ブルー」だのと呼ばれ、賞賛されてきたんです。
なるほど、ところでこの工房は窯の数が凄いですね、いくつあるのですか?
うちには、全部で72個の窯があります。ここで、薄い水色のような色から、濃い紺色までの藍色を染めているんです。それらは約30種類にものぼるのですが、それぞれの色が色名で区別されるところが、藍染めの文化の奥深さだと思います。

ここは、工房の中にお店も一緒にあるんですね。
工房で作業しているところを見学しやすくなると思いまして。それから、私は染めだけではなく、織物もやっていますから、そういう意味では、何か藍染めを商品というカタチにし、一般の人にも手に取ってもらいたいと思っています。私は、23歳で、ここに戻ってくるまでは、東京で染色工芸家の柳悦孝について織物の勉強をしていたんです。
藍染工房の後継ぎが、織物を習うというのは、よくあることなのですか?
いいえ。私が若かりしときでも、もう既に藍染めは斜陽産業となっていましたから、織物を勉強したら、いろいろ可能性がいろいろと広がっていくんじゃないかと考えたんです。でも、それ以前に、何でも自分でやらないと気が済まないということもあるのかもしれませんね。畑での綿の栽培、糸づくり、糸染め、手織りまで、全部に関わっていますから。

へー、全部やられるんですか。でも、例え斜陽産業でも、その時点で藍染めの道を歩んでいこうというお気持ちがあったのですね。
はい。10代の終わりの頃、どんな仕事をして生きていこうかと悩んでいたときに、ふと見慣れた藍甕が並ぶ作業場に立ったとき、そこに充満する空気に圧倒されてしまったんです。「なんという神聖な空気なんだ。僕は、この道で生きていきたい」とそう思ったんです。
なるほど。でも、織物も藍染めもどちらも厳しそうな世界ですよね。
藍染めの方は、父親から門前の小僧で習いましたから、そうでもなかったですね。でも、織物修行で柳悦孝先生のところにいたときには、とにかく朝早く、しつけは厳しかったですね。それに何より偉い方が来られるのが大変でしたね。田舎から出てきて、何も知らない私が電話に出るんですよ。そうすると、電話口では「御機嫌よう」なんて、凄い上品な話し方をする人が出るんです(笑)。私は田舎から出てきた子供でしたから、最初は、どう受け答えをしていいんだか、さっぱりわかりませんでしたよ(笑)。


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柳さんというのは、偉い先生だったわけですか?
デザイナーの柳宗理さんっていますよね。あの方のお父さんで、民藝運動の創始者である柳宗悦さんの甥に当たる人物なんです。だから血筋がいいというか、交際も凄かったですね。文人である白州正子さんという有名人がいると思うんですけど、その方がお見えになるときはまいりました。というのも、弟子である私は、先生と白州さんがお話をしている間中は、ずっと正座をしていなきゃいけないからです。そして、ふたりは話はじめたら何時間でも止まらない。そのお陰で今は、足をしびれさせずに正座を何時間もしていられるようになったのですけど(笑)。
民藝運動というのは、工芸の分野ではよく耳にしますね。日下田さんも、その影響は受けているのですか?
はい。やはり、ここ益子の地は、益子焼きで知られる場所です。その益子焼きが全国に知られるようになったのは、濱田庄司さんという工芸家で、民藝運動にも深く関わった人物が何の因果か、こんな片田舎で制作をはじめてくれたお陰です。私の父は、直接、濱田さんに薫陶を受けることがあったようですが、私にはそういう貴会がなかったものですから、書物でいろいろ読み漁って、その精神を学びたいと思っているんです。

そう言えば、本棚にも、ズラリと関連する本が並んでいますね。日下田さんは研究熱心なのですね。
研究熱心というよりは、やはり自分自身しっかりとした精神を学びたいと思っているのだと思います。バーナード・リーチさんと濱田庄司さんが1920年につくった、日本式の伝統的な窯リーチ・ポッタリーを見るために、セント・アイヴスを訪ねたこともあります。
わざわざイギリスまで行かれるくらいですから、やはり研究熱心なんですよ(笑)
でも、イギリスに行ったときは、パブっていう文化にびっくりしました。あれはいいですね。お酒を飲んで、知らない人同士が気さくに話しかけ合って、盛り上がる。田舎で職人をしていると、ああいうのはなかなかない。楽しかったから、是非もう一回行きたいなあと思っているんですよ(笑)。


日下田さんが学んだものを、うまく次の世代に伝えられるといいですね。
そうですね。何しろ斜陽産業ではありますけど、いっときは、日本を彩った藍色ですから。これを絶やしてしまってはいけない。ですから、長年、地元の高校にも、講師として出向いてはいるんです。私の教え子には、アメリカに留学して、その子がつくった素材がアナ・スイさんというデザイナーの目に止まって、ファッションショーなんかにも使われたという良い例もあるんです。でも、どうしても田舎の高校なものですから、生徒たちはそういう話をしてもピンとこないみたいです。私は、とても凄いことだと思っているんですけどね(笑)
日下田藍染工房
栃木県芳賀郡益子町城内坂1

日下田正
芳賀郡益子町生まれ。藍染染織家、織物職人。

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Posted by: hookah @ 11月9日2011年