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覚醒する桐工芸の日々 : 岩本清商店

2月26日2008年 カテゴリー: 伝統, 国内, 工芸, 意匠

覚醒する桐工芸の日々 : 岩本清商店

東京暮らしに見切りを付け、パートナーを連れて、家業を継ぐために金沢の実家へと戻った職人の娘。廃業寸前だった伝統工芸を見直すふたりは、「伝統」という道中を「感性」と「行動力」で歩みを進める。ふたりが、見つけた現実とは、一体どんなもの?

取材:鈴木隆文
協力:鳥越寛子

いい具合に味の出た古い火鉢

この仕事をはじめようと思ったのはどんなきっかけだったのですか?

岩本:もともと、私たちは、東京に住んでいて、私は出版社、彼は映像制作会社に勤めていました。父が自分の代で家の仕事を畳むということを口にし出していて、それを聞いて、「大正時代(1913年創業)から長く営んできた家業をやめるなんてもったいない」、そう思ったんです。それで、パートナーである彼と弟と東京で集まって、宣伝のこととか、若い人に使ってもらえるようにすることとか、もうちょっと何とかなるんじゃないか、そんなことを話し合ったんですね。

家業である桐工芸に愛着があったわけですね。

岩本:いいえ(笑)。実は、最初は、自分の家が桐で何をつくっているかさえよく知らなかったんです。知人に実家の仕事のことを尋ねられたときには、実際にはつくっていないのに、「桐箪笥とかをつくってる」と説明していたくらい(笑)。ただ、私は、出版社での経験で、お金がないなりに宣伝するやり方を少しは知っているつもりでしたから、もう少し何とかなるはずだ、と。


うさぎ柄の蒔絵

梅のつぼみ柄の蒔絵

雛柄の蒔絵

孔雀柄の蒔絵

みんなが同時に足並みを揃えるというのは、珍しいですね。

内田:金沢に縁のなかった僕も、彼女の実家がある金沢に一緒に行って、彼女の家業を手伝うことには何も抵抗がありませんでした。東京の会社での過酷な労働で体を壊したこともあって、軽い気持ちで「ちょっと、やってみるか」と思ったんです。

岩本:父親の想いとしては、私や弟が家業を「継ぐ必要はない」というよりは、むしろ「食っていけないから、継がない方がいい」ということだったようです(笑)。だから、私と彼と弟の3人が東京で勝手に決めたんです(弟は現在、桐工芸のためのろくろ技術を修行中、修得次第、家業に参加予定)。とは言え、父も「やっちゃ駄目」とは言いませんでしたね。今思えば、私たちも内部の事情をよくわかっていなかったからこそ、思い切れたんでしょうね。

積み上げられた材料

金沢に戻って、まず何から手をつけたのでしょう?

内田:まずは、お店を閉めて、自分たちで壁を塗ったり、ガラスケースのごちゃごちゃを一新したりして、お客さんに入ってもらえるお店づくりをはじめました。

岩本:それでも、商店街自体も寂れてしまっていて、なかなかお客さんが来ないから、県外での物産展やギャラリーでの展示などにも出ていくようにしました。「もっと若い人に使ってもらえるものをつくっていこう」と思いました。


ヒット商品となった「アシナイス」

岩本清商店の創業は1913年

お若いのに、物産展とは渋い!そこで何か発見はありましたか?

岩本:桐工芸というもの自体、とても地味で、マイナーな存在なので、私自身「これを、どんな人が買っていくんだろう?」ととても謎だったんです(笑)。それが、出展してみると、お客さんがどんな点に反応して、工芸自体の何を面白がっているかが分かるようになってくるんです。「金沢と言えば、やっぱり蒔絵よね」みたいな意見も聞けて。私自身も、その当時は蒔絵の良さを、それほど理解していなかったから、そこで気づかされて、見慣れていくうちに、段々、蒔絵の良さがわかってきたりしました。

今のラインナップにある現代的な蒔絵はふたりがデザインしたんですか?

内田:デザインするってほどのことじゃなくて、既にある絵柄を少し変えることからはじめて、細かいところを職人さんと相談しながら、徐々に変えていったんです。でも、蒔絵師さんは歳も違うから、ニュアンスまでは伝わらないこともありましたよ。

非常に古い機械を繰る内田氏

ところで、ふたりは制作の実作業の面にもたずさわっているんですか?

岩本:いいえ。私は、最初、興味を持ってやってはみたものの、雑で不器用なので細かい作業というのは向かないんです(笑)。でも、彼は、そういうのが向いているみたいで、実作業は彼に任せています。

内田:彼女の場合は、同じことを続けられない。でも、人と人を繋げたり、外に出ている方が向いているみたいですから、つくること以外の方面で活躍してもらおうかなと思っています。

焼き桐の工程、かなりの高温の炎で焼く



では、内田さんは、技術はお父さんに学ばれたのでしょうか?

内田:はい。でも、細かいところは、「ここは、微妙なんだよ。だから、とりあえずつくってみたら」という教え方ですね。で、それを聞いたときは「何が微妙なのかなぁ?」と思うんですれど、実際にやってみると、確かに”微妙”なのがわかる。言葉じゃ説明できないんですね。

お父様は、若いふたりが戻ってきて、やり方をいろいろ変えていくことについては何も言わないのですか?

岩本:特に何も言いません。工場にずっといてあまり外に出ていかないから、新しい意見も新鮮みたいですよ。

内田:例えば、ツヤなしのものもつくって欲しいと伝えると、「えー、ツヤはあった方が良いんじゃないのか」と言いながらも、柔軟に手を動かしてくれます。

奥が若手職人の内田健介氏、手前がベテランの岩本清史郎氏。師弟の間には、何やらあたたかい空気を感じる

やっぱり、世代間の感覚的な違いというのはよくあるんですか?

岩本:私たちが、「自分たちが使いたいと思うものを」と考えて、商品を考えると、自然と「シンプルなもの」になるんですけど、それを「淋しいもの」という風に感じたり、私たちは、自然についた傷は味だと思うこともあるけど、年輩の職人さんにとっては、傷は傷でしかなかったり。

内田:昔は、穴に埋木をして、上に蒔絵をあしらって、隠していたものを、今は逆にそれを味として、そのままにして仕上げたり。あと、僕があぐらかくのが苦手だったことというから生まれた桐の座布団、「アシナイス」という商品もあります。

「岩本清商店×shioko uchida」シリーズのちょこっとトレー

桐工芸の良さが、ふたりの新しい感性でどんどん広まっていくといいですね。

岩本:桐工芸は、かつて火鉢が主流だったんです。私が生まれる前のことですけど(笑)。でも、今使っても、火鉢ってすごくいいんですよ。だから火鉢はもう一度見直したい。

内田:実は、僕たちもこの冬からはじめて使いはじめたんですけどね(笑)。炭をおこすのも意外と簡単で干物を炙るとすごくうまい。思っていたより暖かいし。使う前は、物産展などで説明するときも、「そんな暖かくないですけどね」なんて言っていたんですよ(笑)。今は、実感を込めてお薦めします。


香合kumo

蓋の開いた香合kumo

岩本:これからはモノを出すだけじゃなくて、そのモノの良さを説明する必要があると感じています。

内田:展示会で積極的に説明したりしていると、ファンになってくれる人もいますからね。商品を買ってくれた上に後で、パンを差し入れてくれたりして。挙げ句に、僕らの方で「美味しかったです」と御礼の手紙を書いたら、翌年同じ場所に出展したときに、今度はその人が、大量のパンを差し入れてくれたこともありましたから(笑)。そういうのは、本当に嬉しいですよね。

岩本清商店
石川県金沢市瓢箪町3番2号

内田健介 + 岩本歩弓
昭和48年、神奈川県茅ケ崎市生まれ、桐工芸職人
昭和51年、石川県金沢市生まれ、桐工芸品の制作以外全般

3 コメント

  1. 伝統工芸展廻るのが好きで、しかも金沢も好きなのでうらやましいです。
    がんばってください。

    Posted by: mnz @ 3月3日2008年

  2. たまたま。。
    トップ画面で気になったから見てみたら。

    あなたたちですかーーーーー!!!

    すごいよz!日本のトップ画面になってるよ。
    良太君も、、、

    Posted by: ながえだ(笑) @ 11月9日2008年

  3. Hey, I like your website, it is a wonderful site! I’m looking for some informations about sports betting to put in my page.

    Posted by: christian louboutin @ 11月10日2011年

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