
数百円のビニール傘が溢れる今の世の中。そんな現代にも「ホンモノ」の洋傘をつくる職人さんがいます。父から受け継いだ家業に没頭するこの男性は、着実に美しく一本一本の傘をつくりあげていきます。当たり前にある傘を手でつくっていくという一生は、一体どのようなものなのでしょう?
取材:鈴木隆文

一切迷いのない手の動き

一本一本、丁寧な手作り
傘づくり職人さんはどのくらいの時間、作業をされるのでしょう?
だいたい、仕事がはじまるのは朝10時頃だろうかね。昼くらいまで作業して、2、3時間昼寝することもあればしないこともある。その後、仕事は夜中の12時頃の夜更けまですることが多いねぇ。もう、ずっと同じ格好で座っているから、首がまわらなくなっちゃったよ。それでも若い頃は、こんなザマにはならなかったんだけどね。朝から晩まで、ずっと同じ格好でいるというのは、大変なことだよ。
傘の値段はどのくらいなのですか?
一本の値段は8,000円位だな。この歳でえらい金を稼ぐ必要もねぇからさ。ボランティアみたいなもんさ。最近は、やたら東京の雑誌に取り上げられることが多かったせいか、仕事が追っつかなくていけねぇや。今は、お客さんから注文を受けてから3ヶ月くらいは掛かってしまっているね。

お店は、随分昔にはじめられたようですね。
店の創業は、明治10年(1877年)さ。もう130年も昔のことになるねぇ。元々、うちは石油屋だったんだよ。光の供給をやっていたんだ。当時は、油で灯ともしていたからな。で、そろそろ電気が来るっていうことになって、電気が通ったら石油でやっていくのは無理だっていうことになったらしいな。で、先々代は、仕事で日本中飛び回っていたのだけど、その仕事で訪れた先の横浜の港で、異国紳士が傘を携えているのを見たんだな。当時は、蓑傘か、持っていてせいぜい唐傘だったからね。「これは何だ? 」って聞いたら、「洋傘だ」って、答えが返ってきて、それで早速、東京の浅草に行って技術を修得してきて、ここに店を開業したってわけだな。
北澤さんご自身は、何代目になるんでしょうか?
私で三代目なんだ。創業者は、北澤萬吉って名前だったから、先代、まあ、オレの親父のことだけどさ、彼も名前を襲名して二代目北澤萬吉でやっていたんだ。3代目オレは、自分の名前でやることにして、そのまま自分の名前でやっているけどね。

技術はどう修得したのでしょうか?
オレがこの仕事をはじめたのは、17歳のときだったね。親父のところで見習いをして、親子同士っていったって、昔の職人なんて、「こうやってやるんだ」なんてことは一切教えなかったからな。5、6年の間、22歳くらいまでは、実際に傘をつくる仕事なんてさせてもらえなかったね。最初のうちは、店番だとか、雑用だとか、そんなことばかりをやらされていた。第一、教えてくれねぇんだから、見て覚えるしかねぇんだよ。親父は、「尺、寸」の時代だけど、オレは「メートル、センチ」で教わってきているからね。
傘づくりをする中で難しかったのはどんなことなのでしょうか?
傘をつくるくらい単純な仕事はないですよ。それでも奥は深いからね。難しいことなんて数えきれない。修行してはじめて満足して売れる商品ができるわけだから。満足してなきゃ売れないからね。とはいえ、満足する商品なんて、なかなかできるもんじゃねぇんだよ。何十年やっていたって、満足いく傘なんて、なかなかできねぇな。

手づくりの傘というのは、どのくらい長持ちするものなのでしょう?
うちの商品は、製造から販売までを一貫して行っているのが特徴で、修繕もしているね。うちでつくったもんは修繕してやんないとしょうがねぇんだ。嫁いだ娘が、お産で家に帰ってくるみたいなもんだからね。ところが手作りすると丈夫だから、なかなか壊れないんだ。ちゃんと30年くらいは保つようにつくってあるからね。嫁入り道具として買ってもらったものを、腰を曲げてからようやく「修繕してくれ」って持ち込んでくるからね。さした後でちゃんと日に干せば、それだけで30年くらんの間は保ちますよ。
30年!ですか、やはりいい傘というのは違うものなのですねー。
そりゃ違いますよ。値が張るといっても、最上級のもので1本、1万6千円程度だからね。いい傘は持った方がいいよ。オレは、いつも言っているんだよ、「男性は、高級ないい傘を持つと出世しますよ。女性は、高級ないい傘を持つと幸せが降ってきますよ」ってさ。これ本当なんだよ。頭の上にさす傘、腹を締めるベルト、大地を踏む靴、この3点で高級なものを持っている人は間違いないね。人生を通して出会ってきた人たちでもさ、たいがい男の人はそれなりの地位についているし、女の人はそれなりの幸せを掴んでいるからね。不思議なんだけどさ。傘は人生ともつながっている、本当に奥が深いよ。

傘づくりの作業は完全に一人でされているのでしょうか?
オレは、ひとりじゃ作業、完成できないからね。家内がいないとね。生地を三角に切ったあと、それを家内にミシン掛けしてもらわないと。だからさ、奥さんとケンカしたらいけねぇんだ。家内怒らせると、傘ができなくなっちゃうからさ。家内ってのは、ありがたいもんだよね。それにご近所さんも、ありがたいよ、やっぱり。いろいろ助け合ってるね。オレは、この辺りの区長もやっているからさ。近頃は、いろんなところに引っぱり出されるんだよ。最近は、地域でやっている縁側大楽という、昔の寺小屋みたいなイベントでも何かしゃべってくれっていうので、この間出てきたんだけどね。これからは、こういうイベントが人気になっていくよ。若い人たちに混じってね、年配の人間が教えられることを教えていく。大事なことだと思うよ。
北澤さんの後継者はいるのでしょうか?
雑誌やなんかに取り上げられると困っちゃうのは、各地から「技術を教えてほしい」って、若い人たちが連絡してくるんだよ。そう言われたってさ。教えてやるのはいくらだって教えてやるんだけどさ。困っちゃうんだよ。後継ぎがいないなんて話よく聞くけどさ、うちはそんなことはないねぇ。来てもらえるってのはありがたいことなんだけどな、食ってけねぇんだからさ。この間も、東京から20代の夫婦がやって来たよ。オレが「3年くらいは生活費すら出してやれないけどどうすんの?」って聞いたら、奥さんの方が「生活費の方は、私が何とかしますから、お願いします」だってさ。世の中どうなってんのかねぇ(笑)。それに、いい加減なものをつくるわけにはいかないからな。5年くらいは仕込まないと、売り物にならないもの。

お子さんは後を継がれないのでしょうか?
子供は息子がひとりいるけど、今は、もう外へ出てしまっているね。ある銀行で支店長やってるんだ。でも、まあ、いつかは継いでくれるとは思うんだがね。まあ、食っていけねぇから、今すぐってわけにはいかないだろうな。
洋傘職人を長く続けてこられた秘訣というのは、何でしょうか?
お客さんから、「本当にありがとうね」なんて言われると、傘づくりを続けてこられて良かったなと思うんだ。
三河屋洋傘専門店
長野県長野市大字長野西之門町500

北澤良洋
1933年長野県長野市生まれ、洋傘職人

1 コメント
ウェブマガジン「PingMag」及び、姉妹サイト「PingMag MAKE」は、2008年12月31日をもって休刊いたしました。これまで応援して下さった世界中の皆様、またご協力頂いた皆様に、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
親愛なるPingMagMAKE読者の皆様
12月31日2008年
科学する心で伝統を見つめる:大辻朝日堂
12月16日2008年
ニッポン製Tシャツがゆく:久米繊維工業
12月9日2008年
日本人の大切な文化を伝えたい:喜久優
12月2日2008年
石を売る人:佐藤庭石店
11月25日2008年
桐箪笥の本質を守りながら:小倉タンス店
11月18日2008年
手づくり、天然素材とデザイン:ツルヤ商店
11月11日2008年
若き陶芸家に学ぶ、志の道:青木良太
11月4日2008年
将棋駒に宿る匠の技:天童佐藤敬商店
10月28日2008年
木工職人のお話:多田木工製作所
10月21日2008年









感激しました!!!私も作ってみたいと思いました
Posted by: 吉沢唯 @ 1月15日2009年