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雑巾づくりから鞄づくりまでを縫う女 ー 革デザイナー・立川緩

12月5日2007年 カテゴリー: 国内, 工芸, 意匠

雑巾づくりから鞄づくりまでを縫う女 ー 革デザイナー・立川緩

自然ながらお洒落な空気をまとった革製品をつくる福岡発のブランド「BISARRI」。同ブランドが醸す温かな雰囲気は、デザイナーである、立川綾氏の空気にそっくりです。では、彼女の想いと彼女のユニークな経歴はどんな風に鞄に映し出されているのでしょう?

取材:鈴木隆文


BISARRIブランドの刻印とカードケース

もともとは、ものをつくるのは好きだったんですか?

子供の頃、雑巾づくりが趣味やったんよね。私は、内気な子で、友達もおらんような子やったけんね。他の子は、遊びってゆったら外に出て遊ぶと思うっちゃけど、私は、家に籠って、雑巾縫うのが好きやった。他にもいろいろつくっとったよ。今思えば、ちょっと恥ずかしいことやけど、靴下の穴の開いたところをわからんように直したり、Tシャツの袖の部分を切って、靴下として縫い直したり。いまだにお婆ちゃんにいわれるよ「あんたは、お婆ちゃんちに来たかと思うたら、タンスがさがさしてから、雑巾つくとった」って。そのとき、どういう心境でそういうことやっとったかわからんけど、好きやったっちゃろうね。何もないところから形になって、人に使ってもらって、人の役に立っているって感じがしたけん。長女やけんかもしれんけど、お母さんにとっていい子って思われるような子でおりたかったんよね。うちは両親が早くに離婚して、母子家庭で貧乏やったけん、服飾学校は入学金が半端なく高いけん、そんな学校には行かれんと思っとったしね。

珍しいお仕事をされていましたよね?

それまでは、少しタレントの仕事をしとったんよ。でも、そのときも自分が表に立つのが恥ずかしくて、『裏方』って言ったら失礼やけど、陰で支える側の仕事の方に興味があった。『タレントやってました』なんて、今となっては恥ずかしくてあんまり言いたくないけど、そのときのお陰で少しは蓄えがあったけん、その後の工場での弟子生活も、収入がなくても何とかやっていけたと思う。

さまざまな革をつくるものに合わせて選ぶ

そんな派手な仕事から、どうやって職人さんに弟子入りしたんですか?

22歳の頃、友達のお父さんが浅草で革製品の職人さんやっとうっていうことを知って、「これは!」って思ったんよ。それまでは別の仕事をしとったっちゃけど、ずっと何か裏方でつくる仕事がしたいと思うとったと。それで、友達にお願いして、もちろんお金なんかは一銭も出らんかったけど、無料で技術が学べるんならって、その工場の見習いをさせてもうらことになったんよね。

全くの新しい生活はどんな生活だったのでしょう?

最初の半年は、革ならしたり、革を洗ったり、時計のバンドを手縫いするっていうカンタンな作業しかやらせてもらえんくって。切ったり張ったりさせてもらえるようになるのは、その後。だんだんお財布とか、小銭入れとか、やらせてもらえるようになってきて。師匠は、無口で厳しいっちゃけど優しさが滲み出ているような人でね。「お前、どんなんがつくりたいだ」って言われて、師匠がやってなかった鞄とかもつくらせてもらうようになった。「裏から革選んできてみろ」って言われて、「はい」って言って選んでくると、「この革じゃ薄すぎるだろ。もう一回選び直してこい」とか言われて。お母さんも優しい人でね。ご飯も毎晩のように食べさせてくれて、私が落ち込んでいると、「大丈夫、大丈夫。みんな最初はそうなんだよ」って励ましてくれよったと。2年間くらい、丁稚奉公みたいにしとったけど、おかげさまで食べるのに困ったってことはなかったかもしれん。


革の仕入れは東京・浅草で行う

並べられた道具

随分と愛される丁稚奉公だったわけですね?

でも、最初は、本当に辛くて、泣きっぱなしやったよ。手順を間違えると木の棒で手を叩かれたコトもあった。革って、原価から計算して、そんなに安いもんじゃないけん、失敗すると、その分コストが高くなるのは当たり前にわかっとったし。自分が自分の失敗で怒られるのは理由が明確やったけん全然平気やったけど、自分がこの工場にとって、何もプラスになってないっていう風に思ってしまうと涙が出てきて、毎日のように泣いとった。自分には向いてないと思ってしまって。とても高い革のもので失敗して駄目にしたときも、失敗したのを言えずに、自分の作業する椅子のクッションの下に隠しとった事もあった。でも、師匠が「あれは、どうした?」って何度も聞いてくるし、隠し通せんと思って、泣いて。「実は、失敗して・・・」って言ったら、「その場で言わないと失敗した手順がわからないだろ。泣くな!」って、怒られて。

アハハッ。それは可愛らしいですね。

それから、あんまり辛いけん、実際に行かなくなってしまったときもあったとよ。「明日は、もう行かん」って決めて、行かんかったっちゃけど、電話が掛かってきてずっと無視して、あんまり沢山掛かってきようけん、電源も切って、3日間が過ぎてしまったっちゃけど、このままいかんかったら、一生、二度と電話できんくなると思って、それで電話したら、「どうしたんだ、具合でも悪かったのか」って聞かれて、「すいません。体はどこも悪くありません」って謝って。「もう一回やらせて下さい」って、お願いして続けることができたとよ。


スウェード生地のバッグ

オフホワイトの生地のバッグ

そんな生活を数年続けた後、独立するきっかけとなったのはどんなことだったのでしょうか?

最初は、独立しようということが頭にあったわけではなかったっちゃけどね。ある日、私が倒れて病院に運ばれてな。そしたら師匠が「お前、もうひとりでやってけるくらいは頑張っただろ。とりあえず一度、福岡に帰れ」って言ってくれたと。それを聞いて、「と言ってくれたってことは、私はひとりでもやっていけるのか? 」って少し思ってな。お母さんも福岡に帰ってきてっていうことは言っとったけんね。工場におった2年間は、収入はなくて貯金を食いつぶしながら、家賃を払っとうっていう生活やったけん、いつまでもこういう生活も続けられんやろうと思っとったし、帰ることにしたと。貯金があったのは、私、12歳のときから、年齢を誤摩化して、ティッシュ配りとかのバイトしとったけん。貯金みたいな地味なことが好きなんよね。派手な生活もしとったよ。16歳で東京に来てからも、結構頑張って働いとったとよ。だけん、ちょっとはそのときの蓄えがあったしね。工場で、収入がなくてもやっていけたのはそのお陰なんよね。でも、そのときも、「手に職、手に職」って、他にできる仕事をずっと探しとったっちゃん。

独立しはじめの頃から仕事はうまくいっていたのでしょうか?

最初、福岡に帰ってきたばかりのときは、やることないけん暫く籠って。とりあえず、自分で鞄つくって、お母さんとか友達とかに持たせてみたりしたと。後は、名刺をつくって、ひたすら配っとった。そしたら、ある日、お母さんの友達が買ってくれることになったけん。それからだんだんと人に売るようになったとよ。博多の大名というところに、セレクトショップがあるっちゃけど、そこでも委託という形で置かせてもらって。それから、だんだん、お客さんがついてき出して、一品ものの注文も受けるようになって、展示会をやるようになってって、徐々に広がっていった感じかな。最初は、どうゆうお店に卸したらいいかもわからんやった。小物を扱っているアクセサリーショップだと、客単価が数千円で安いけん、何万円かする革の鞄は全然売れんとよ。でも、洋服屋さんなんかだと、客単価が2、3万やし、意外とどんどん売れたりしてな。置いてもらえたらどこでもいいと思っとったけど、置く場所って大事っちゃなって、それではじめて知った感じやもん。

BISSARIというロゴは、その丸みのある字体から採用された

BISARRIというブランド名はどこから来たのでしょう?

BISSARI(ビサリ)っていうブランド名は、BとかRとか 丸みのあるローマ字が好きでそれを並べただけで、意味はなかったっちゃん。響きがいいなと思って、「これでいい!」って。なーんか聞き覚えのある気もして、インターネットで調べたけど日本語のページがなかったし、いっか、と思って。響きに重点を置いとったけん、コンセプトとかは特別ないっちゃけど。でも、人づくりみたいなことにまで広げていけたらいいなぁってゆう理想は持っとるよ。おこがましいっちゃけど、福岡の女の子たちが持っとう素朴さや純朴さって素敵と思っとうけん、少しでもその個性を引き立ててあげられるようなものをつくれたらなとは思っとう。お洒落はしてるんだけど自然に見えるみたいなものをつくれたらいいなと思うんよ。

それでは、商品づくりでこだわっている点はどこでしょう?

革の鞄にコンセプトはないっちゃけど、こだわりはあるつもり。手縫いにこだわって、いい革は使っていきたいけんね。手縫いでできる範囲でしか広げたくない。代々、受け継がれているモノって、今ないけんね。そういうモノがつくれたらとは思っとう。だけん、1度人の手に渡った鞄が修理で帰って来たりすると凄い嬉しいんよ。「直してでも、使いたい」って思ってもらえたんだと思って。糸がほつれたくらいやったら、手間も大して掛からんし、タダで直すよって。壊れたけんって、ポンッて捨てられるよりも、嬉しいもん。でも大抵の人は、修理に出すのに、わざわざお店に持っていって、それを引き取りにいってっていう手間が面倒で、「安いし、新しいの買おう」ってなっちゃうんよね。今の時代は難しいのかもしれんけど、「修理に出してでもまだ使いたい」って思ってもらえるようなものをつくっていきたいと思っとう。

長く愛用してもらいたい思いが強く、修理に戻ってくると「嬉しい」という

それでは最後に今後の夢をお聞かせください?

革の鞄からはじまって、いずれはセレクトショップみたいなことをやりたいっていう夢はある。洋服も、ゆくゆくはオリジナルで作れたら、とかね。

BISARRI

立川 緩
昭和54年、福岡県福岡市生まれ。革職人、革デザイナー。

11 コメント

  1. すごい力をもらいました。
    僕も今、会社を辞めて革職人になろうか迷ってるんですが元気づけられました。

    Posted by: ヒデオ @ 10月29日2008年

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    Posted by: bladeless fan @ 4月21日2012年

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